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被災ママ。子連れボランティア、はじめました。

乳幼児を抱えて被災。水害発生から子育てしやすい街づくりを目指して、ママとこどものためなら何でもやる気持ちで、いろんな挑戦をしています。

避難所はどうあるべきか?嫌われる避難所と好かれる避難所

自治体のホームページに避難所の情報が掲載されているはずですが、避難先選びを間違えると、行ってみたらとんでもない環境だったということがあります。

関東東北豪雨で被災地に指定された茨城県常総市では、「避難所に指定されていたから市役所に避難した」という人が大勢いました。しかし、市役所が浸水して避難者が孤立するというニュースが映像として流れていました。

後に、市役所に避難した友人からこんな話を聞きました。

旦那さん、当時3歳と0歳の子供と一緒に市役所に避難した。抱っこしていた下の子を降ろそうと職員に声を掛けたら、床に敷くためのダンボールを渡された。ここには居られないと判断し、市外のホテルを予約して移動した。

もし市役所に留まっていたら乳幼児を抱えてもっと大変な状況になっていたはずです。「避難所から避難する」という判断が功を奏したのですね。

他には体育館を避難所にした例もあります。この体育館はペットの入館は禁止です。災害時であってもということで、ペット同伴で避難した方が犬を外に置いて自分だけ館内に居られないと、外で数日過ごしたとも聞きました。ただ、避難所の運営スタッフが内緒で犬と一緒に館内に入れてあげたとも聞きました。ルールはルールですが、災害時はときにルールを破らなければ救えないこともあるということです。このような運営スタッフがいたおかげですね。

「災害ボランティアのプロ」からはこんなことを聞きました。

「避難所は快適にしてはいけない」

この言葉を初めて聞いたとき正直なところ、私には理解できませんでした。むしろ、「避難者にやさしくするべきではない」と言われたような気がして誤解をしていました。

子連れボランティア活動を続けるうちに見えてきたものがあるんです(子連れボランティア活動については「被災ママ。子連れボランティア、はじめる。」を読んでください)。

ある避難所では、子供から高齢者まで全員が同じスペースで避難生活を余儀なくされていました。大勢の他人との避難生活ですから、なるべくプライバシーを保てるようにかダンボール製の仕切りやくつろぎスペースなどが確保されていました。食事も、「毎回おにぎりじゃ飽きちゃう」などの声があがると定食弁当や様々な炊き出しで支援される状態でした。

それが発災から日数が過ぎるにつれ、避難者が甘え過ぎの状態になったそうです。

ボランティアの方々がトイレ掃除をする。 避難者は喫煙所でタバコを吸っている。

洗濯ボランティアが受付や洗濯をする。 洗濯機が設置されていて身体的に洗濯ができる人までもが洗濯ボランティアに洗濯を依頼する。

もちろん、避難者全員がそうなわけではありません。避難所に寝泊まりしながら、一日中自宅の片付けをしてクタクタになって帰ってくる人。避難所から出勤して、その途中にコインランドリーで洗濯もして帰ってくる人。ボランティアと一緒に他の避難者のために動く人。避難生活を送っていても、「自分にできることはないだろうか?」と考えられる人もいます。

支援に甘え過ぎると、自宅に戻る気持ちや生活を取り戻す気持ちが薄らいでいく。しかし、いずれはボランティアもいなくなるし、避難所も閉鎖されるんです。それまで甘えさせてくれた支援が発災から数ヶ月も経つと皆無に近い。「ボランティアや避難所が無くなっても、生きていけるんだ」という気持ちを奪わない程度に避難所を運営しないといけないのです。そして、被災者も生きる力が薄らぐほど支援にどっぷり浸かってしまうのは危険だと、自分を律する心も必要だということだと思います。

それが「避難所は快適にしてはいけない」の意味だと私が理解できた頃、避難所の閉鎖が決定していました。

発災後に支援物資を配ったり、乳幼児を持つママとの交流を通して「避難所」についての意見を聞く機会も多くありました。その中で特にココは!と気になる感想をくれたママさんがいたので、どんな環境だったのか見学に行ってきました。

そこは被災地・常総市のお隣、つくばみらい市にある「きらく山すこやか福祉館」という施設でした。つくばみらい市から委託されたつくばみらい市社会福祉協議会(以下「社協」)が管理しているそうです。当時、ここで避難所の運営にあたっていた社協職員さんとお話ができました。

水害の状況をテレビで見ていて、常総市社協の協力をするため現地入りを考えていたら、市から突然電話があり、「避難所になったから避難者が来ると思う」と告げられたそうです。

「当時、この施設の入浴施設はボイラーが故障中だったんです。避難してきた方がお風呂に入ることができなかったので不便だったんです。お風呂があればもっと良かったんですが。」と今でも当時の避難者を気遣ってくれているようでした。それでも、同じ敷地内の別の建物にはシャワー室も完備されているし、入浴施設が利用できなかったために一般のお客さんがいなかったのは、避難所を運営するうえでラッキーだったかもしれないですね。

大広間や個室含む施設全体を避難所として使い、ロビーには支援物資を並べ、看護師が常駐。施設内には2015年4月に開設された「支援室」(乳幼児が遊べるスペース)や9月の避難所の頃に設置された「授乳室」があり、子連れの避難者も遊んでいたそうです。また、敷地内には芝生の広場やアスレチック、テニスコートなどがあります。こうした施設は常総市にはないので、同じような環境は望めませんが、「妊婦や乳幼児とその家族専用の福祉避難所」の設置が市策として制定される日がきたら、この避難所を参考にしていただきたいです。

支援室↓ f:id:mamatokodomo:20160223213142j:plain

そして、閉鎖前日の夕方に市から社協に連絡があり「明日で避難所は閉鎖です。」と告げられ、発災から2週間で閉鎖したそうです。ピーク時には160人くらいいた避難者の行き先は社協職員さんにもわからないそうです。

この避難所に感謝する避難者が多いのは、被災地である常総市外に設置された避難所であることや、ボランティア含め運営側にいるスタッフが被災者ではないこと、色々な制約に縛られる「市」ではなく「社協」が運営していたという、ある意味ゆとりあるスタッフと体制に恵まれていたからだと思います。

被災者みなパニック状態、昼夜ヘリコプターがバリバリいってる常総市内に設置され、自宅を放り出すしかなかった自らが被災者である職員が運営していた避難所との違いでしょう。あの時はあれが精一杯だったはずです。