子供ボランティア。もっと広まるといいね。
3/21/2016 Mon
🌻ピノキオハウスとは🌻 水害で被害に遭った古民家を修繕し、常総市の被災ママと子供たちや地元の方々と在日外国人の方々との交流や学びの場としての開設を目指しています。常総市地域交流グループ「ココイク」(以下、「ココイク」)としては、子連れで参加できるママのためのイベントを開催する予定です。そして、ここがココイクの事務所になります。
🍀🍀ピノキオハウスプロジェクト 3日目🍀🍀 今日は子供が一緒。ほぼほぼ毎日一緒です。子連れでガテン系作業はできませんね。メギー母がおにぎりなどを作ってくれたので、ピノキオハウスに差し入れしてきました!
着いたときはまだ作業中。駐車スペースにする場所に植えられている木をチェーンソーで伐採。短く切ったものを軽トラに積むのはピノキオクラフトクラブ守谷組の子供たち。
つながりさんからもまた大勢が作業にあたり、ココイクメンバーSさん率いるTSUKUBAチームも参加。
「近くに(つくば)住んでいても、まだこんな状態だと知らなかった。もっとたくさんの人に知ってもらわないと。」
「ここは平日もやってますか?私が働いている会社(東京)がボランティア活動を推奨してるんです。」
こういう声は本当にありがたいですね😊
母屋の修繕と共に、駐車スペース予定地に掘っ建て小屋があります。これをぶっ壊したいんですが、手伝ってくれる人いませんかーーー(^O^)?
<作業3日目メンバー> つながり: 13人(午後から参加2人) ピノキオクラフトクラブ: 4人 TSUKUBAチーム: 6人
計23人
子連れボランティアが子離れボランティアになった!
3/20/2016 Sun
🌻ピノキオハウスとは🌻 水害で被害に遭った古民家を修繕し、常総市の被災ママと子供たちや地元の方々と在日外国人の方々との交流や学びの場としての開設を目指しています。常総市地域交流グループ「ココイク」(以下、「ココイク」)としては、子連れで参加できるママのためのイベントを開催する予定です。そして、ここがココイクの事務所にもなります。
🍀🍀ピノキオハウスプロジェクト 2日目🍀🍀
今日はチビたちを夫くんに預けて、ガテン系作業です。天気もいいし、たくさんのヘルプが入って、楽しいーーー(^o^)
ガテン系と言っても、それぞれができる事をやる。力がない人に重いものを持たせるような事はないのです! (当たり前か😋)
昨日に引き続き、新潟の大工さんチームがリードしてくれました!
私に割り当ててくれた作業は敷居の傷防止。乾いた泥の掃除や釘抜きなど、手が空いたら他の作業へ。
「つながり」さんのメンバーもたくさん来てくれていました!古い石膏ボードを剥がしたり、エアーコンプレッサーで隙間のゴミを出したり、噴射機(?)で床下の木材や柱に消毒剤を散布したり。
この古民家がどんな風に利用されるかを知った人たちからは、「楽しそうですね」「私の地元にもあったらいいだろうな」「知れば知るほど興味が湧いてくる」など、賛同・応援の声がたくさん上がりました❣️
あっという間でした。みなさん、ありがとう!
<作業チーム> つながり 新潟大工チームPowder Recon Japan ピノキオクラフトクラブ ココイク
ピノキオハウスプロジェクト始動!1日目の報告
3/19/2016 Sat
🍀🍀ピノキオハウスプロジェクト初日🍀🍀
🌻ピノキオハウスとは、水害で被害に遭った古民家を修繕し、常総市の被災ママと子供たちや地元の方々と在日外国人の方々との交流や学びの場としての開設を目指しています。常総市地域交流グループ「ココイク」(以下、「ココイク」)としては、子連れで参加できるママのためのイベントを開催する予定です。そして、ここがココイクの事務所にもなります。🌻
初日はひたすら壁落とし。廃材撤去。掃除。
<初日メンバー> つながり 陽気心(ひのきしん) All Japan ピノキオクラフトクラブ アリビオ(ピノキオクラフトクラブ大人組) 筑波大Dr有志 新潟大工チームPowder Recon Japan
計25人
ココイクが主催するイベント「親子でズンバ体操&チビッコ楽器ふれあい体験」の日だったので、ピノキオハウスプロジェクト初日の作業には参加しませんでした。
育児ストレスが笑いに変わる #吉育三
子供はかわいいですよ。もちろんね。 でも、頭のテッペンから沸騰するくらいキーーーッてなることあるんですよ。
それが吉幾三さんの「オラ東京さ行くだ」のメロディーに乗せて、うまいこと替え歌になってるんです( ̄▽ ̄)
Twitterでジワジワきてます。笑わせてもらった替え歌2つ紹介しま〜す。平時でも災害時でも、「もうヤだ!」となったら息抜きにどうぞ(^-^)/
🎤はぁ~!
オムツじゃねえ ミルクじゃねえ 昼寝をし過ぎたわけでもねえ!
ウンチもね 出したよね? 横漏れするほど出したよね?
抱っこして トントンで 部屋中歩いてぐ~るぐる!
いつ寝るの?まだ泣くの? 眠れないまま朝が来るっ!!
オラこんな夜いやだ~
🎤はぁ〜
戦隊と!ライダーの! 武器が日に日に増えていく!
テレビでも!スマホでも! 妖怪ウォッチがぐーるぐる!
肉でもねぇ野菜もねぇ なによりふりかけごはんがいい!
トトロみる!しっこでる! ラムネとグミとうまい棒!
オラ3歳になるだー
うん。うん。わかるわー!くっくっく 笑!
ぜひぜひ、Twitterのサイト(http://www.twitter.com/)かアプリで「#吉育三」で検索してみてくださいね〜。「#吉幾三」ではないですのでお間違えなく♡
被災ママ。子連れボランティア、はじめる。
長女出産後に専業主婦になり早5年、2015年9月に私たちが住む茨城県常総市は豪雨による水害に見舞われました。困っている人たちがたくさんいるのに、子供がいるから何も出来ないことがもどかしく(何も出来ないと言っても、災害時に子供を守り、安心させ、一緒にいることは立派な「やること」です)、子供がいても出来ること"SNSでの水害に関する情報発信"を始めました(Facebookグループ「常総市の被災ママと子供たちを応援したい」)。
それから数日後に、子供服やおもちゃなどを寄付できるというSさんとFacebookを通して出会ったことがきっかけで、友達のRちゃんと3人で独自に物資を集め、被災者(主に乳幼児のいる家庭や高齢者)に提供するという活動を始めました。これなら1歳3ヶ月の末っ子をおんぶしながら支援活動が出来る!彼女は水害後に歩き出したので、まだおんぶしていても喜んでいる時期でした。
学生時代の友人Eさんが共通の友人に連絡してくれ、過去に2年連続で水害被害に見舞われた京都府福知山市に住む友人含め、たくさんの友人が子供服や絵本などを送ってくれました。また、Facebookを介して出会った様々な人から日用品から生活家電や家具まで様々な物を提供頂きました。中には、事務所で使用していて状態は良いがもう使っていないからとテーブルや椅子などを個人でアルミ箱付トラックをレンタルして届けてくれた会社経営者や母国に帰国するから家の中の物を全部あげると、とっても素敵な家具などを寄付してくれた外国人がいました。
はじめは衣類やおもちゃ、布団や食器など、生活用品が中心でしたが、発災から数ヶ月後を見越して家具や家電を中心に寄付してくれる人を探し始めたのでした。大型の寄付品は保管場所が必要です。これも被災地から外れた常総市内の倉庫を、地元の不動産会社が無償で貸してくれたので出来たことです。
Sさんの知人・Facebookで知り合ったVさんから無料のフリーマーケットを開ける空き地や公民館を探して欲しいと依頼を受けたことがきっかけで、Vさんと一緒に無料フリーマーケットを数回開催しました。開催の度に運搬部隊として大活躍してくれたのがI夫妻です。また、倉庫に保管していた物資の仕分けや片付けに協力してくれたYちゃんは、一緒に活動するようになって「被災してから、今が一番楽しい。」と言って笑ってくれました。
そして災害支援について無知だった私は知りたいことが山盛りでした。そこに知識や知恵を貸してくれたのが、災害支援ボランティアのCさんとMさんです。
いつも子供たちが遊んでいる公園や広場、街全体が汚泥や災害ごみで埋め尽くされ、大人は自宅の片付けなどで忙しく、子供を肉体的にも精神的にも守らねばならぬママたちにも(もちろんパパたちもですが)疲労やストレスが溜まってきた災害から9日後、バルーンクラウンのGさんがバルーンアーティストHさんを連れて遊びに来てくれました。
このときをきっかけに"ママや子供たちが笑顔で息抜きできるように"、"常総にはブラジル人コミュニティがあるのにあまり日本人との交流がないこと"、"近所付き合いの機会が薄れている"という現実を少しでも緩和したいという思いが強まりました。そして、ここまでに紹介した仲間たちと共に、「ちょっと一息入れませんか?」とその場で食べておしゃべりできる形式の炊き出し会(ブラジル人有志、市外県外のボランティア有志、ボランティア団体などの協力により実現)+クラウン、ジャグラー、サンバチームの方、教会の若者たち、市内の県立高校のボランティア部などの協力で子供たちを思いっきり遊ばせる会を開催しました。
そのときの仲間と作った団体を後に、常総市地域交流グループ「ココイク」と名付けました。
ココイクの由来は、
ココ行く! (小さな子供も発音しやすい) ココで生きてイク! ココで育児をしてイク! ココで食イク! ココロいくまでやる!
です。
ココイクのFacebookページもあります。活動に賛同や応援してくださる方の「いいね!」が励みになります。ありがとうございます!
さらに、印刷物を用意したいとき、専門家の意見を聞きたいとき、機材を借りたいとき、イベントを開催したいときなど、活動をサポートしてくれているのが、NPOコモンズが水害直後に立ち上げたたすけあいセンター「Juntos」です。Juntosには多方面の専門家や活動家、災害支援団体の方が入られていて情報が集約されています。
物資ボランティアを通して知り合った、被災者支援(常総では主に高齢者を中心に支援)をされているピノキオクラフトクラブとも連携をとり、代表の松村さんを介して被災したおじいちゃん・おばあちゃんに生活家電などを提供してきました。
他にもたくさんの方や団体の協力をいただきながら、ココイクとして、個人として、活動を続けています。また、ボランティア活動を続けられるのは仲間の力はもちろんのこと、家族の協力があるからです。特に、水害直後から数ヶ月休みなしでの自宅や友人宅などの片付け、仕事、そして半年が経ち自宅に戻れてからの生活を支えてくれる夫や「ママは天才だよ!」「いってらっしゃ〜い」と応援してくれる子供たちに感謝でいっぱいです。
*「関東・東北豪雨」からの半年を振り返り、この記事を書きました。
追記: 全国のみなさんからの応援に感謝している常総市のみなさんが、熊本地震の被災地に支援物資を送ろうと考えた時に読んでもらいたいなと思って、下の記事を書きました。私の想像を遥かに超え、閲覧数10万以上、シェア数3.7万となりました。たくさんの方が参考になったと言っていただけたようです。被災地の負担が、少しでも軽減されることを祈ります。
水害発生、避難する前にやっておきたい5つのこと。
関東・東北豪雨により被災してからの活動(水害から半年間の活動を「被災ママ。子連れボランティア、はじめる。」にまとめました)を通して、たくさんの地元住民/被災者や地元住民/ボランティアに出会いました。また、乳幼児を持つ被災ママさんたちとの交流から出た声をもとに、避難する前にやっておけばよかったことをまとめました。
〜家族の命を守るために〜
「怖いな」と少しでも思ったら避難すること。実家や友人、近所のおじいちゃんやおばあちゃんから「この辺は何十年も水害なんてないから大丈夫。」と聞いても、「うちは大丈夫」と思わないこと。「いつもと違う」という直感を信じること!乳幼児を抱えてはスピーディに動けません。早め早めの対応を。
〜避難先について〜
小さな子供や介護が必要な家族がいて避難所が不安な場合は、冠水・浸水区域から離れた施設(ホテルなど)に一次避難!妊婦や乳幼児とその家族にやさしい福祉避難所が設置された場合は、そちらへ避難することも考慮してみてください。妊婦さんや乳幼児などに特化した支援物資が入りやすいこともあります。単なる避難所の場合、乳幼児の泣き声などに批判的な声を発せられてしまうことがあったり、お子さんや保護者さん自身もなかなか寝付けなくなったりもします。
〜水害発生!避難するまでにやっておきたい5つのこと〜
①避難してからすぐには帰宅できないことを想定して荷物をまとめる
一次避難グッズを準備しておくことが重要ですが、していなかった場合は避難を決めてから荷物をまとめることになります。子供の安全を守ることに精一杯で忘れてしまって困る物があります。
- スマホ+充電器(取り出しやすいポケットなどへ)
- 貴重品
- 食料(お菓子やレトルト離乳食なども)
- 飲料
- 哺乳瓶+粉ミルク(必要な方)
- 母子健康手帳
- 保険証
- 紙オムツ(普段は布オムツでも紙オムツを!洗濯が長期間できないこともあります。)
- おしりふき(ウェットティッシュの代用としても)
- 汗拭きシート(お風呂に入れない場合に備えて)
- 着替え(3日分はあるとよい)
- 生理用品(予定日でもないのにストレスなどから生理になる方もいます。)
- タオル
- ビニール袋
- 大きめのゴミ袋(即席ポンチョで急な天候不良にも対応できる)
- 抱っこ紐(おんぶ兼用の物がよい)
- 常備薬(消毒液もあるとよい)
- お薬手帳
- お気に入りのぬいぐるみや絵本
- 懐中電灯(スマホのライトがありますが、電池節約のためにもあると便利) この写真に写っている物だけでも30Lバックパックに収容しきれません。年齢や体力に合わせて、お菓子やぬいぐるみはお子さまに背負ってもらうことも考えましょう。
②と③は、余裕を持って避難できる場合にのみ行うようにしてください。安全第一。命最優先です!
②自宅の高層階へ移動する
高層階が浸水しなければ移動した物を守ることができ、その後の生活再建にかかる費用を節約できたり、思い出の品を泣く泣く処分することも防げます。
- 生活家電
- チャイルドシート
- 子供の作品や思い出の品
- ベビーカー
③車を高台へ避難させる
複数の車両を所有する場合、避難時に使う車以外を避難させる(この車中に二次持ち出しグッズを入れておくのも有効です。とはいえ、この車が被害を受ける可能性がないわけではありません) 。社用車や農機具など、仕事に影響の出るものも避難させる。
④ライフラインの元栓を切る
家を出るときには、ガスなら元栓を閉め、ブレーカーを切ること。これはライフライン復旧後の事故を防ぐためです。
⑤玄関などに避難先などを明記しておく
外出中で一緒に避難できない同居家族がいる場合は、災害ダイヤルやメール、SNSなどで連絡を取るつもりであっても、電波状況や携帯電話/スマホの電池状況により連絡手段がなくなる可能性もあります。直接の電話連絡以外に、第三者の端末からもアクセス可能なTwitter、LINE、Facebookなどの利用もオススメです。
避難準備OK!余裕を持って避難できる場合に限るとは思いますが、親の不安が伝染するのでなるべく明るく楽しそうにお子さまを誘導してあげるとよいと思います。
避難所はどうあるべきか?嫌われる避難所と好かれる避難所
自治体のホームページに避難所の情報が掲載されているはずですが、避難先選びを間違えると、行ってみたらとんでもない環境だったということがあります。
関東東北豪雨で被災地に指定された茨城県常総市では、「避難所に指定されていたから市役所に避難した」という人が大勢いました。しかし、市役所が浸水して避難者が孤立するというニュースが映像として流れていました。
後に、市役所に避難した友人からこんな話を聞きました。
旦那さん、当時3歳と0歳の子供と一緒に市役所に避難した。抱っこしていた下の子を降ろそうと職員に声を掛けたら、床に敷くためのダンボールを渡された。ここには居られないと判断し、市外のホテルを予約して移動した。
もし市役所に留まっていたら乳幼児を抱えてもっと大変な状況になっていたはずです。「避難所から避難する」という判断が功を奏したのですね。
他には体育館を避難所にした例もあります。この体育館はペットの入館は禁止です。災害時であってもということで、ペット同伴で避難した方が犬を外に置いて自分だけ館内に居られないと、外で数日過ごしたとも聞きました。ただ、避難所の運営スタッフが内緒で犬と一緒に館内に入れてあげたとも聞きました。ルールはルールですが、災害時はときにルールを破らなければ救えないこともあるということです。このような運営スタッフがいたおかげですね。
「災害ボランティアのプロ」からはこんなことを聞きました。
「避難所は快適にしてはいけない」
この言葉を初めて聞いたとき正直なところ、私には理解できませんでした。むしろ、「避難者にやさしくするべきではない」と言われたような気がして誤解をしていました。
子連れボランティア活動を続けるうちに見えてきたものがあるんです(子連れボランティア活動については「被災ママ。子連れボランティア、はじめる。」を読んでください)。
ある避難所では、子供から高齢者まで全員が同じスペースで避難生活を余儀なくされていました。大勢の他人との避難生活ですから、なるべくプライバシーを保てるようにかダンボール製の仕切りやくつろぎスペースなどが確保されていました。食事も、「毎回おにぎりじゃ飽きちゃう」などの声があがると定食弁当や様々な炊き出しで支援される状態でした。
それが発災から日数が過ぎるにつれ、避難者が甘え過ぎの状態になったそうです。
ボランティアの方々がトイレ掃除をする。 避難者は喫煙所でタバコを吸っている。
洗濯ボランティアが受付や洗濯をする。 洗濯機が設置されていて身体的に洗濯ができる人までもが洗濯ボランティアに洗濯を依頼する。
もちろん、避難者全員がそうなわけではありません。避難所に寝泊まりしながら、一日中自宅の片付けをしてクタクタになって帰ってくる人。避難所から出勤して、その途中にコインランドリーで洗濯もして帰ってくる人。ボランティアと一緒に他の避難者のために動く人。避難生活を送っていても、「自分にできることはないだろうか?」と考えられる人もいます。
支援に甘え過ぎると、自宅に戻る気持ちや生活を取り戻す気持ちが薄らいでいく。しかし、いずれはボランティアもいなくなるし、避難所も閉鎖されるんです。それまで甘えさせてくれた支援が発災から数ヶ月も経つと皆無に近い。「ボランティアや避難所が無くなっても、生きていけるんだ」という気持ちを奪わない程度に避難所を運営しないといけないのです。そして、被災者も生きる力が薄らぐほど支援にどっぷり浸かってしまうのは危険だと、自分を律する心も必要だということだと思います。
それが「避難所は快適にしてはいけない」の意味だと私が理解できた頃、避難所の閉鎖が決定していました。
発災後に支援物資を配ったり、乳幼児を持つママとの交流を通して「避難所」についての意見を聞く機会も多くありました。その中で特にココは!と気になる感想をくれたママさんがいたので、どんな環境だったのか見学に行ってきました。
そこは被災地・常総市のお隣、つくばみらい市にある「きらく山すこやか福祉館」という施設でした。つくばみらい市から委託されたつくばみらい市社会福祉協議会(以下「社協」)が管理しているそうです。当時、ここで避難所の運営にあたっていた社協職員さんとお話ができました。
水害の状況をテレビで見ていて、常総市社協の協力をするため現地入りを考えていたら、市から突然電話があり、「避難所になったから避難者が来ると思う」と告げられたそうです。
「当時、この施設の入浴施設はボイラーが故障中だったんです。避難してきた方がお風呂に入ることができなかったので不便だったんです。お風呂があればもっと良かったんですが。」と今でも当時の避難者を気遣ってくれているようでした。それでも、同じ敷地内の別の建物にはシャワー室も完備されているし、入浴施設が利用できなかったために一般のお客さんがいなかったのは、避難所を運営するうえでラッキーだったかもしれないですね。
大広間や個室含む施設全体を避難所として使い、ロビーには支援物資を並べ、看護師が常駐。施設内には2015年4月に開設された「支援室」(乳幼児が遊べるスペース)や9月の避難所の頃に設置された「授乳室」があり、子連れの避難者も遊んでいたそうです。また、敷地内には芝生の広場やアスレチック、テニスコートなどがあります。こうした施設は常総市にはないので、同じような環境は望めませんが、「妊婦や乳幼児とその家族専用の福祉避難所」の設置が市策として制定される日がきたら、この避難所を参考にしていただきたいです。
支援室↓
そして、閉鎖前日の夕方に市から社協に連絡があり「明日で避難所は閉鎖です。」と告げられ、発災から2週間で閉鎖したそうです。ピーク時には160人くらいいた避難者の行き先は社協職員さんにもわからないそうです。
この避難所に感謝する避難者が多いのは、被災地である常総市外に設置された避難所であることや、ボランティア含め運営側にいるスタッフが被災者ではないこと、色々な制約に縛られる「市」ではなく「社協」が運営していたという、ある意味ゆとりあるスタッフと体制に恵まれていたからだと思います。
被災者みなパニック状態、昼夜ヘリコプターがバリバリいってる常総市内に設置され、自宅を放り出すしかなかった自らが被災者である職員が運営していた避難所との違いでしょう。あの時はあれが精一杯だったはずです。
水害発生、街から子供の遊び場が消える!?
水害。自分が住んでいる街が被災するまでは知らなかった事がたくさんあります。
本当に無知でした。
「雨が降ったからびちゃびちゃで公園は遊べないね」とよく子供との会話に出てきますが、そのくらいのことを想像していたのです。
冠水したのだから、雨よりは水が引くのは遅いだろうけど、水が引けばまた遊べる。と。
実際は全く違います。
ただの雨水ではなく、汚泥です。川の水だけでも十分汚いですが、街中のいたるところで下水が溢れ、それが街中を覆ったのです。
道路や家屋から水が引くと、家財や建築廃材などの、いわゆる「災害ごみ」が道路沿いに積み上げられます。
その災害ごみが捨てられたのは災害ごみ集積所として設けられた場所だけでなく、普段は子供たちが遊んでいる「公園」です。
土や植物が汚染された上、遊具は汚泥にまみれ、放り込まれた災害ごみから飛び散ったガラスやステンレスなどの破片が散乱しているのです。
災害の規模や自治体の対応などで違いはあるでしょうが、2015年9月の「関東・東北豪雨」によって被災した茨城県常総市では、5ヶ月経った今も立入禁止の公園があります。
さらに常総市の公式サイトを見ても、どの公園が安全か安全でないかの発表はないのです。
そこで、2016/02/02(火)、常総市内の公園は子供たちが遊べる状態になったのか、常総市都市整備課に聞いてみました。
【森下公園】- 普段から幼児〜お年寄りが集まっていた公園
・4月から使える
・災害ごみを受け入れたから土を入れ替える
・遊具を塗装する(理由は古いから)
・砂場も使えるようにする(災害前はガラスの破片が出てきたり、猫の糞があったりした)
【相野谷公園】- 普段からあまり遊んでいる子がいない小さな公園
・いつ遊べるようになるか未定
・災害ごみを受け入れたから土を入れ替える
【その他の冠水した公園】
・冠水したすべての公園の土を入れ替えた
・砂場も使えるようにした
・消毒は常総市の造園業者が完了した
・「立ち入り禁止」になっていなければ遊べる状態だということ
とはいえ、これらの情報を含め、どんな消毒方法だったのか、土は表面から何cmを入れ替えたのかなども現在常総市のホームページには掲載されていません。掲載する予定もないそうです。掲載がなければ知ることが出来ないのでお願いはしました。
災害関連の業務や溜まってしまった通常業務で忙しいとは思いますが、子供の遊び場は優先順位が低いのでしょう。母親としては怒りよりも呆れていますがね。
「4月に森下公園が遊べるようになったら連絡します。」と言うので、名前と電話番号を伝えましたが、電話で個人に連絡するという事はこの先も常総市の公式サイトに掲載するつもりがないのかしら。
全国から届いた応援メッセージに涙!
水害発災から4ヶ月以上が経ったある日のこと。諸手続きのため常総市役所へ行ったとき、全国から届いた応援メッセージが飾られていたのです。
以前にも飾られていたのでしょうか。発災後のドタバタ居候生活で気付かなかっただけでしょうか。
みなさんの励ましの言葉を読んでいるうちに、 「これはみんなに(他の常総市民に)見てもらいたい!」 と思い、Facebookグループ「常総市の被災ママと子供たちを応援したい」のアルバム「応援メッセージ」に投稿しました。
発災直後からみんな必死にがんばってきました。今も尚がんばっています。がんばるしかないんです。
そんな中で目にした言葉の数々に涙が出ました。直接お礼が言えない代わりに、ここで言わせてもらいます。
ありがとう!
ハザードマップはそのまま活用するのが難しい
「平成27年9月関東・東北豪雨」により被災した乳幼児3人の母です。もし仮に万が一、また自然災害が起こったときのために避難先を知っていたいと思い、「防災課」を頼りに常総市役所職員に尋ねると、「安全安心課」が担当部署だと教えられたので行ってきました。「安全安心課」、初めて訪れる部署です。
今回の水害で赤ちゃんを連れて避難所に避難したが、夜泣きで迷惑をかけるからと避難所を転々としたママさんがいたようです。「赤ちゃんを連れていても安心して避難できる避難所が絶対に必要です。」と伝えました。
が、私一人がそんな事を懇願しても何かが変わるとは思っていません。いつかは全国すべての自治体に福祉避難所の設置が行き届くように、常総市でもマニュアル作成だけでなく、訓練を含めた準備をしていただきたいものです。
そして、
できる事を できる時に できる人が やればいい
なので、まずハザードマップを見てみようと思いました。今回の水害発生以前に作られた物なので今後に活かせる物ではありませんが、参考になるし、更新されれば比較にもなります。
一部貰ってきましたが、「このままでは全く活用できない」が正直な感想です。
*「国土交通省ハザードマップポータルサイト」にて、指定した任意の地域のハザードマップを見ることができます。興味のある方はここをクリック/タップしてください。
というのも、
ハザードマップとは、自然災害による被害を予測し、その被害範囲を地図化したものである。 予測される災害の発生地点、被害の拡大範囲および被害程度、さらには避難経路、避難場所などの情報が既存の地図上に図示されている。
だから、当然ですが、子供を連れて避難する人に特化した情報は皆無なのです。このハザードマップに情報を追加できれば使う人も増えるし、作る意味もあります。
例えば、
- 傾斜がきつい道
- 歩道がない道
- おむつ替えテーブルがある(用意できる)避難所
- 授乳スペースが用意できる避難所
- おむつをした子であっても入浴可能な施設はどこか
ママだから気付ける事がたくさんあるんです。いや、逆に、机に向かったおじさん方には悪いですが(市役所職員を非難するつもりはありません)、ママにしか気付けない事がたくさんあるんです。
こんな書き方をすると「じゃあお父さんは子供のことを考えていないというのか!」とか「お母さんがいない家庭に配慮して物を言ってください!」とか、いろいろと言いたくなる人は何処にでもいるものです。
言葉尻だけに反応するのではなく、大局を見るようになっていただきたい。
子供(特に乳幼児)を連れた方が安全に安全な場所へ避難できるように、そして少しでも落ち着いて避難生活を送れるように願っているだけです。
だからこそ、ママの意見が重要なんです。ママの計りで「ここは乳幼児を連れて行ける避難所だ」と判定できる避難所は、きっとママ以外の保護者が子連れで避難しても安心できる避難所であるはずなのです。
災害に見舞われたときに被害状況を確認したいときは
大雨が続いたり、局地的豪雨に見舞われたとき、テレビを付けて天気予報を見る方は多いと思います。現在はdボタンという便利なツールもありますよね。それと同時に、TwitterやFacebookなどのSNSを利用してリアルタイムの情報を得ることもとても重要です。
TwitterやFacebookでは、 「◯◯町がヤバイ」 「国道◯号線が冠水してる」 「うちの前まで水が来た」 など、近隣住民の生の声が飛び交うからです。
私が住んでいる茨城県常総市では、2015年9月に台風18号による大雨の影響で、鬼怒川が決壊、また、新八間堀川の越水により、床上浸水4,400戸、床下浸水6,600戸と大規模な被害を受けました。
この時も、TwitterやFacebookではテレビよりも早く、確かな情報を得ることができました。スマホが普及してからは特にSNS利用者が増え、写真付きの投稿がしやすくなったのも理由の一つでしょう。
このときに特にお世話になったのは、Facebookグループ「常総市、地元で正しい情報共有を。ぜってー常総を復活させる」でした。現在はグループ名が「常総市復興コミュニティ 常総市をぜってー復活させる!」に変更され、地元有志が中心となり情報共有を続けています。(2015/11/15時点)
私はと言うと、常総市を離れ市内の実家の様子を知りたがっていた友人、子供を連れて避難し自宅の様子を知りたがっていた友人、子供が通う幼稚園や学校の様子を知りたがっていた友人に、少しでもそれぞれの助けになればと、自転車で通れる道を探りながら(市内が至る所で冠水していて、車での通行はかなり不便/不可能でした)、高台から写真を撮っては、LINEで報告。
それを何度か繰り返すうち、LINEで一人一人に連絡するのは効率が悪いことに気付き、Facebookでグループを作ることにしました。グループ名は「常総市の被災ママと子供たちを応援したい」です。先に挙げたグループには有益な情報がたくさん投稿されているのですが、どこの病院の小児科は診察を再開したか、どの公園は水没したから遊べない等、子供がいるママ目線での情報に特化したグループを作りたかったのです。
それが、私の、子連れボランティア、ついでボランティアの始まりです。
水害後の住宅修理: 新しい断熱材として吹き付け断熱を選ぶ
我が家には、ビニール袋(?)に詰められた黄色い綿のような「グラスウール」と呼ばれる断熱材が詰められていました。
水害被害に見舞われた家屋は、壁や床を剥がし、断熱材を撤去した後、1〜2ヶ月の乾燥が必要です。
(ここから更に壁を壊すことになりました)
そして、新しい断熱材を入れ、壁と床を貼ることになりますが、我が家では「吹付けウレタン」や「発泡ウレタン」などと呼ばれる断熱材を吹き付ける工事をすることにしました。 (正式名称: 建築物断熱用吹き付け硬質ウレタンフォームA種3)
特殊な機械が必要な吹き付けウレタンですが、工事をしてくれる株式会社日本アクアの方が、吹付けウレタンの材料を混ぜるとどうなるかを見せてくれました。うわわー!って感じ。おもしろかったですよ。
DIY好きの方は知っている人が多いらしいのですが、発砲ウレタンスプレーというものもあるんですって。私もDIYは大好きですが、断熱材までは手が出せません。自分の能力を遥かに超えています。
ただ、吹付けウレタンはグラスウールやロックウールよりも機密性が高いため、断熱効果ももちろん高くなるそうです。実際に吹付けの様子も職人さんの背後から、こっそり見ていましたが、泡がみるみる膨らみ、隙間という隙間は完全に塞がれているように見えます。
今までは冬になると家の中でも吐く息が白く、暖房ガンガンだった我が家。今年の冬は寒さが和らぐことを期待しています。
床上浸水しても適用されない「被災者生活再建支援制度」
大規模な洪水被害に襲われた茨城県常総市ですが、住民の不安はまだまだ続いています。
被災者に対する支援が適用されない世帯が多すぎるのです。あれだけ連日報道されていた大規模水害ですが、多くの住宅が床上浸水したにも関わらず、床上100cm未満が「半壊」、100cm以上が「大規模半壊」と判定されます。(2015/10/10時点での半壊と大規模半壊の違い)
それを踏まえて、
「被災者生活再建支援制度の概要」を読むと、「3.制度の対象となる被災世帯」に以下の説明があります。
①住宅が「全壊」した世帯
②住宅が半壊、又は住宅の敷地に被害が生じ、その住宅をやむを得ず解体した世帯
③災害による危険な状態が継続し、住宅に居住不能な状態が長期間継続している世帯
④住宅が半壊し、大規模な補修を行わなければ居住することが困難な世帯(大規模半壊世帯)
我が家は素人判断で床上30cm。①、②には該当しません。③については私個人ではわからなかったため、問い合わせたところ、
③危険な状態というのは「火砕流等により被害が発生する危険な状況が継続すること」、あるいはこれに匹敵する程の状態をさします。今回の水害では③は当てはまらないことになります。(長期間がどのくらいかについては一般的に決められているわけではなく、県が諸般の事情を総合的に判断する事になります。
との回答をいただきました。
結果、今回の水害では多くの世帯が(現時点では)半壊と判定されているため、この制度が適用されない、ということになります。本当に残念です。
被災者生活再建支援制度については下記リンクをご覧ください。
http://www.bousai.go.jp/taisaku/seikatsusaiken/pdf/140612gaiyou.pdf
被災地で開催されるクロネコキャラバンとは?
クロネコキャラバン=家具や家電の移動販売
クロネコキャラバンを初めて耳にする方も多いかと思いますが、実はこれ、東日本大震災の復興支援として始まった事業の一つなんです。
台風18号の影響による洪水被害に見舞われた茨城県常総市では、家財を失った被災者がたくさんいます。
家が流されてしまった方はもちろんのこと。床上浸水した場合、家財はゴミ同然になってしまいました。水が引き、自宅に入れるようになると、まずは家財を家の外に出し、街中が粗大ゴミだらけになりました。それも、個人で粗大ゴミ集積所に持ち込んだり、収集車が回収してくれたりしたので、災害から1ヶ月弱も経つと、街中もだいぶ片づけられました。(とは言っても、普段の生活に戻れてなどいません)
まだまだ家屋の片付けに追われる人も多くいますが、修理が完了すれば、また家具や家電が必要になります。被災した家屋の2階に住んでいる人は、すでに必要になっているはずです。
そこで、ヤマトホームコンビニエンスが運営する「クロネコキャラバン」が開催されるとなれば、たくさんの被災者が集まることでしょう。
10/10(土)、11(日)には常総市で開催されますが、他の地でも開催されているようです。今後の予定はヤマトホームコンビニエンスのホームページで確認できます。
鬼怒川決壊現場。決壊から21日後、自分の目で現場付近を見て、歩いた。
あの日、自宅や実家の心配をしながら、鬼怒川の水量を見に行ったり、僅かな荷物を運んだり、友達の実家の様子を見に行ったり、とにかく心配でそわそわしていました。
そして、常総市三坂町の恐ろしい光景がテレビに映りました。
それからはテレビをつけっぱなしにして、これ以上被害が大きくならないように祈りながら、不安や心配を子供たちに見せぬよう、「普段のママ」を必死にやっていました。
それから数日が経ち、通行止めが解除され始めると、私は自分の目で決壊場所を見ておきたいと思うようになったのです。不謹慎な野次馬根性かどうか、自分でもわかりません。それでも、どうしても見ておきたかった。
自宅の片付けや支援物資の提供・運搬、慣れない環境での生活、子供たちの体調不良、等々、全く行ける気がしません。
そして、災害から3週間。
天皇皇后両陛下が被災地・常総市を訪問される今日、やっと、行ける時間ができました。
天皇皇后両陛下が訪れる1時間ほど前に、三坂町を、決壊場所付近を、歩いて見てきました。
横倒しになった家屋、斜めに傾いた電柱、ひっくり返ったままの車両、寸断された道路。
涙が出てきました。
言葉に表せない感情が込み上げました。
テレビで見る映像はどこかフィクションのように映ります。世界各地で発生する災害、紛争、事件、事故、テレビを通すと、どこか「自分には関係ない」ように映るのは何故だろう。
こんなにも近い場所で実際に家が流されたりしているのに、やはり、自分の足で歩いて、自分の目で見るまで、ほんの少しだけ、「嘘かもしれない」「信じたくない」気持ちがあったのかもしれません。
デコボコの土地、ところどころ水溜りがあり、工事車両がある。電柱は斜めになり、民家が傾き、生命の気配がない。
足裏から伝わる大地のエネルギーから、「嘘じゃなかった」を実感。
一人で来て、よかった。
子供たちが一緒じゃなくて、よかった。
大勢でわいわい見学に来るところじゃない。
一人で、よかった。
ここから、進まなくちゃいけない。
悲しみや、怒りに、身を任せず、ここから、進もう。
出来ることを、少しづつ。
それしかないから。